体裁
宇宙自然の文化保護協会である求道心会館(武芸、又は軍術として知られている)は、最高指導氏である オガワ ヒロシ八段 によって創始され 北海道かわ村を起源とし、風の流武芸の存在について知らせる機関である。
求道心武芸会館は、10年以上にわたり文化伝承のため受け継がれてきたが、ジョーダン・アウグスト指導士7段の指導の元、今日ではブラジル及びその他各国でも活動が行われている。
千人以上の生徒が修行に励んでいるが、求道心武芸会館は、偉大なる尊敬と賞賛を宇宙自然の分家となっている他の武芸グループからも受け、過去、現在、そして未来へとつながるなかで調和の増大を図ろうとする様様な当会館の実験の元に、多大なる戦略的パワーを超えたものとしての評価を受けている。
求道心武芸会館について
伝統ある武芸学校として知られている求道心武芸会館は、前回の訪日で指導者であるジョーダン・アウグストは、印(公式印で天狗の祝福を受けた古代表意文字が記されている)を授与したが、このことにより、日本訪問は歓迎を受けた意味のあるものであるといえる。
日本を含め世界各国で武芸について様々な伝説、逸話が師匠から弟子、または父親から息子へ等語りつがれているが、この様な過程を経て、武芸に必要な話のみ現在も存在しているのである。
謎めいた文化の発祥地である北海道(旧蝦夷地)を起源地とする。
過去における師匠による研究、調べによると大力(武芸を含む宗教) の始まりである。
まず、武芸という語について考えてみる必要がある。
武、、、、、、、、闘争、戦術
芸、、、、、、、、技術、技巧
武芸は闘争術に関する一般的な語句になった。この定義付けは現在でも知られている武芸スタイルと同じである。求道心武芸会館で実施されている武芸は、カワ村を起源とする風の流武芸として知られている小川自然会から受け継がれたものである。過去において、4つの村が存在し大力に統合された。
川
藪
山
太陽
武芸内に存在する名前によれば、その村を起源にもつものは自然として知られている。
武芸の起源や、創始者についての記録は無いが、武芸は戦国時代、身を守る術として発達した。
江戸時代、教育、躾、道徳の一環として用いられた。こういった理由から、芸術的要素豊かなものとして、また、その哲学及び高いレベルでの精神的進化性により、現在まで尊敬されてきた。今日では戦術目的には使われてないが、観念形態は創始当初と何ら変わりは無い。武芸のテーマはそれぞれ関係し、現実と実績を追い、戦士要請のための必要な要素を捜し求めている。
武芸の芸術的要素は時と戦いからの経験を経て、精神、体力的にも極められてきたのである。
武芸は、個人レベル向上を考えた精神的コンセプトにも関係している。
アイヌー大力の旧地域
今日まで”アイヌ”の歴史にはいろいろな神秘がまつわることは知られている。アイヌ民族がは北海道地域に日本人が来る前から住んでいたことは確認されているがその起源は定かではない。彼らの丸い目、長いまつげ、波打った髪の毛から判断すると昔、東へやってきた白人をルーツに持つものと考えられ、紀元前5000年前くらいにまで遡るのではないだろうか。
彼らの起源がどこであろうと、8世紀頃には、すでに日本人により本州から北海道に追いやれれ多様である。
そして、、アイヌ民族は北海道を日本人からの侵略から逃れるための最後の地とし、住むようになった。
北海道が日本ではじめて酪農が発達した土地となるまでに、アイヌは再び偏見をもたれるようになり彼らの土地は狭くなり、他の文化からの支配、偏見を受けるようになった。
長年にわたり、日本人はアイヌ人に対し日本名を名乗ること、学校では日本語を話すことを強制し、その結果、アイヌ語を話す人口は減少し、彼らの文化もたちまち衰退の途をたどることになった。
大力の起源であるアイヌ民族について今でも謎めいた部分はあるが、受け継がれてきた伝統、術からも分かるように、感じとり、また研究されている。
アイヌ民族が天狗と初めてコンタクトを撮り、その地域に住んだ初めての人々として知られているが(後に大力になり、さらに強力になったことを意味する)現在、我々がその謎、特性について学んでいるのである。
封建制度や幕府による偏見的な行為により抑えられていた人々は商人、職人、農民として日本社会から離れ、住処として730年以来住んでいるアイヌ民族の人々の土地を奪っていったのである。
こういった弾圧及び度重なる攻撃から自分たちを守るべくして自然は生まれたのである。アイヌ民族によって受け継がれている武芸内における文化、術は天狗からの直接影響受けたもので、天狗は守護神として扱われている。
最近日本で起きた、アイヌ民族のリベラル運動は文化遺産を取り戻そうという運動でゆかと呼ばれるものに記されていて、世代から世代へ語り継がれている。